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「なんだか、しんどい」「少し、休みたい」そんなときの「街の保健室」です。

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こたに医院 の日記

フェラーリ。

2011.12.07

中国自動車道で、計14台の多重追突事故が
起こりました。
高速道路で、いったん、事故が起これば、この
程度の規模になるのは、止むを得ないのでしょうが、
この事故が大々的に、全国ニュース、どころか、
世界中に報道されたのは、この14台のうち、
7台がフェラーリ、1台がランボルギーニだったからです。
どちらも、イタリア製の車ですね。

このエコカー全盛の時代に、まだ、そんな車
に乗っているヒトが、グループでいて、こんな
幼稚な集団ドライブしていることも、意外でし
たが、それ以上にこの日本の劣悪な状態で
車が可哀想なんです。
亀有派出所にもランボルギーニだかの「自前」
のパトカーに乗っている、金ピカのおまわりさんが
登場しますが、それ自体が、ジョークなんですし。

イタリアの話に戻ります。
ローマ帝国は都市文化の盛隆を極めましたが
同時に、道の文化も極地に至りました。
「すべての道はローマに通じる」
omnes viae Romam ducunti(ラテン語)
All roads lead to Roma.(英語)
という格言は、ローマ帝国の道路政策、
インフラの充実の事実を表わしているのです。
道は、物資や人びとの往来のためだけでなく、
非常時の軍隊の移動には欠かせないから
でした。
最古のアッピア街道 Via Appia は、ローマ市内
のフォロロマーノから、半島の長靴の足の甲までの
約600キロの街道ですが、作られて、2300年
経った今でも、使われているのです。
水はけをよくするために、排水溝が作られ、
車道と歩道が分かれています。
すごい土木技術です。

イタリアに行き始めた初めの頃、日曜日の夜、
少し離れたRistoranteに行った帰り、雨脚が
強まり、タクシーを呼びました。
それほどの距離ではなかったのですが、ホテル
に着くと、酒臭かったタクシーの運転手が、
夜で、日曜日で、雨で、と、メーター以外の3重の
割り増し料金を請求してきました。
まさに「雲助タクシー」です。
絶対、払うもんかと拒否していたら、ホテルの
玄関にいたベルが気づいて、追い払ってくれ
ましたが、こっちにしたら、もっと、早よ、来んかい、
って感じ。
それ以来、イタリアでは、絶対タクシーに乗りませんし、
入国した空港で、すぐ、レンタカーを借ります。
でも、あの雲助タクシーのおかげで、あの、すべての面
でだらしないイタリアなのに、道路のよさには、いつも、
感動していました。
特に、高速道路 Autostrada。
日本の名神でさえ、当たり前顔している、嫌な
「道路の継ぎ目」などありませんし、不器用な
イタリアのドライバーにも曲がりやすいアールで
カーブが構成されていて。
この道だからこそ、フェラーリが生まれるんや、
って、思っていました。

同じことは、BMWやMercedes発祥のドイツでも、
感じました。
ヒトラーが、完備したアウトバーン Autobahn
がありゃこその、BMWなんです。
有事には、飛行機の滑走路としても、用いる
積もりだったとか、そんな道ですから、農道を
起源にする、この国の道路では、可哀想。

フェラーリの紋章が、泣いています。
有名な「跳ね馬」をご覧になったことがある
でしょう? 
「跳ね馬」カッヴァッリーノ・ランパンテ Cavallino
 Rampanteは、第1次大戦の伊空軍で、34機
独戦闘機を撃墜した撃墜王 フランチェスコ・バラッカが、
独戦闘機に付けられていたマークを、戦利品として、
自機に付けていたのが始まりで、彼の戦死後、両親が、
当時、アルファロメオ AlfaRomeo のドライバーをして
いたエンツォ・フェラーリ Enzo Ferrari (フェラーリの
創始者)に贈ったものとされています。
その「跳ね馬」自体は、独の工業都市シュトゥ
ッツガルト Stuttgartの市の紋章で、独戦闘機に
付けられていたのでしょう。
実は、同市に本拠を置く、ポルシェ Porsche
(1931年創立)のエンブレムの中央にも、この
「跳ね馬」があり、「農道」起源のこの国の道路
を走りながら、やはり、泣いているのです。


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