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こたに医院 の日記

ダライ・ラマ

2011.07.18


この16日、オバマ合衆国大統領が、
チベットのダライ・ラマ14世と44分間、
会談しました。
ダライ・ラマの掲げる「非暴力・中国政府
との直接対話」を評価した上で、中国政府
に気配りして、合衆国政府としてはチベット
が中国の一部であることを確認しました。

ここで、いくつか、問題を整理しましょう。
まず、ダライ・ラマという人物について
整理してみましょう。
そこに、このチベットという国の特殊性が
あります。
かつて、中国では「西蔵」と呼ばれました。
あの、有名な孫悟空の西蔵法師の「西蔵」
です。
さて、話は16世紀に遡ります。
ダライ・ラマという名称は、当時のモンゴル
の最高実力者アルタン・ハーンから、チベット
仏教の最高位の化身ラマの名跡で、1642年
に発足したチベット政府の元首でした。
中華人民共和国成立後、1956年から勃発
した抗中独立運動のチベット動乱後も1956年
にインドに今のダライ・ラマ14世が亡命したあと
も、チベット亡命政府の元首です。

ダライ・ラマが亡くなると、次のダライ・ラマが生ま
れる地方や特徴についての僧たちの予言により、
次のダライ・ラマ候補の子どもを探す。
いわゆる「生き仏」信仰です。
誕生時の記憶や幼少時のくせなども参考とされる
が、決定的なのは、前世の記憶を試すことであり
これは、先代のダライ・ラマ愛用の品物とそうでない
物を目の前に並べて、その子どもがどちらを選び、
先代と同じような使い方をするかを試して、新しい
ダライ・ラマが選ばれます。
転生した者として認定されたということです。
その子どもは、直ちに、法王継承の儀式を受け、
宗教上の権威は与えられますが、18才になる
まで「チベット王」としては認められません。

現在のダライ・ラマ14世は、1933年に亡くなった
先代13代の遺体安置中、頭が北東に向いたため
とか、いろいろなお告げが一致したために、1935
年生まれの子どもを転生者として認定し、1939年
4才で即位しました。
その後、少年からの成長は、ブラッド・ピット主演の
映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」に描かれて
いますが、聡明な少年として、英語をはじめ外国語
や学問を修め、教養人として、成人しました。

中国政府は、1949年までは、コミンテルンの方針
通り、「民族自決」の原理を尊重し、チベットの自治
を認めていましたが、中華人民共和国の成立ととも
に、人民解放軍が進撃、統治体制に入りました。
「民族自決主義」に欧米列強がつけ込み、分断を
図ることを防ぐ目的とのことで、中国自体が狼に
なって、チベットに襲いかかったのです。

そして、今のダライ・ラマ14世は、チベット亡命政府
の元首として、「非暴力・中国政府との直接対話」を
主張し続け、1989年、ノーベル平和賞を受賞して
います。
すでに、現代世界に欠かせない「コスモポリタン(国際
人)」なのです。
そして、今回のオバマ大統領との会談に対し案の定
中国政府は悪質な「内政干渉」として抗議しています。
では、人民解放軍のチベット侵攻は、一体「内政干渉」
じゃなかったら、何なのでしょう?
相変わらず、奇妙な中国政府なこと。



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