こたに医院 | 日記 | 「神話的」

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こたに医院 の日記

「神話的」

2011.08.28



明治時代、福岡県久留米出身で、東京美術学校
(今の東京芸術大学)の西洋画科に、青木繁という
学生がいました。
洋画家、黒田清輝らの指導による「写実主義」に
留まることなく、青木は「古事記」をはじめ、自分の
憧れる神話の世界の絵画を描き続けました。
自画像のみ、凄いとしか言えない作品があります。

1903年、21才の作品「黄泉比良坂(よもつひら
さか)」は、愛するイザナミを亡くしたイザナギが、
黄泉の国(死者の国)までイザナギを迎えに行き
ますが、約束を破り、振り返り朽ち果てたイザナミ
を見てしまうという「古事記」の一節がモチーフに
なっています。
(何か、ギリシャ神話のオルフェウスの話と通い合う
ものがありますが。)
この「黄泉比良坂」というのは、この世と黄泉の国を
結ぶ道のこと。
実際の作品は見たことがありませんが、逃げて行く
イザナギの後ろ姿と比べて、黄泉の国から戻った
イザナミの姿は、おぼろげで、そのくせ、官能的な
のです。
「古事記」の世界が、血肉を与えられたようで。
素晴らしい作品です。

その青木が、万葉の歌枕でもある、千葉県南部の
布良(ぬら)の海岸の滞在後、描いた1904年
22才で発表した「海の幸」。
自分が、小学生のころ、初めて、図工の教科書で
見た瞬間のこと、まだ、覚えています。
獲物を背負い、浜辺を行く10人のはだかの男たち
先頭の二人が背負う、引きずるくらくぃ大きな鮫。
中に、一人だけ、白い顔で、恐れおののくように、
こちらに視線を投げる男は、まるで少女のようで、
印象的。
(一説では、後に青木の子を生む、恋人福田たね
だとされています。)
太古の漁師たちを思い浮かべさせるような画面で
もしかしたら、「神話」以前の世界まで表現してしま
っているのかも知れません。
見る者の、心を駆り立てるような、強い強い絵です。
青木が、早熟の天才、時代の寵児のようにもては
やされた時代です。

そして、3年間の沈黙のあと、1907年25才、
青木は、
傾倒する英国・ラファエル前派の影響をより強くした
意欲作「わだつみいろこの宮」を、白馬会展に出品
しますが、3席となります。
古事記」の海幸彦・山幸彦の話をモチーフに兄に貸して
もらった釣り針を失くした山幸彦が、海の底でトヨタマヒメ
と巡り会い、恋に落ちる瞬間を描いています。
自分にとってはインスピレーションに溢れる、素晴らしい
作品ですが当時の画壇には受け入れられませんでした。

その後、父親が亡くなり残された負債に押しつぶされる
ように、青木の絵は輝きを失っていきます。
九州各地を放浪して、28才で夭折します。
神々の愛でし、早熟の天才。

自分は、数少ない、彼の作品の持つ「神話的」な光に心
惹かれます。
写実主義を超えた、現実を越えた「神話」世界。
念のために、申し上げますが、自分は決して「古事記」
を肯定している人間ではありません。
「古事記」自体は、天皇を中心にした朝廷が、権力を
伸張していく過程を、象徴的に書き記したものだと
思っています。
けれども、天皇制の肯定・否定を超えたところで、
何人かの作者が「古事記」に込めた「祈り」のような
ものは、無視してはいけないと思います。
青木繁を駆り立てた「祈り」のチカラも。

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