こたに医院 | 日記 | 勇気と決断。

「なんだか、しんどい」「少し、休みたい」そんなときの「街の保健室」です。

Top >  日記 > 勇気と決断。

こたに医院 の日記

勇気と決断。

2011.09.12


米国の同時多発テロから、10年という節目で
いろいろな情報が、再検証も含めて、取り上げ
られました。
その中で、一人の日系政治家の決断と行動に
興味が引かれました。
その人は、元米国運輸長官、ノーマン・ミネタ
というカリフォルニア州出身の日系二世です。

静岡県出身の両親の5人の子どもの末っ子と
して、生まれて、10才当時、日米開戦とともに
ワイオミング州の日系人収容所に収容されました。
戦後、陸軍情報将校として、日本や韓国で軍務。
その後、民主党の政治家として、故郷のカリフォ
ルニア州サンノゼ市長、下院議員、クリントン政権
で商務長官と、日系政治家としては、初めて尽くし
経歴を経ています。
そんな彼が、一躍、脚光を浴びるのは、共和党の
ブッシュ政権で、運輸長官を務めていた時、あの
同時多発テロの勃発でした。
ハイジャックされた航空機も管轄する運輸長官
であり、フロリダ州の小学校訪問中のブッシュ大統領
の代理の立場で当時の副大統領チェイニーの召集した
国家安全保障会議にも、出席しました。
そこで、ミネタ長官の打ち出した指示がこの非常事態
の中で、有効でした。
全米で飛行中の全航空機に対する緊急着陸の指示です。
その瞬間、米国上空を飛行中の航空機は、ワシントン
に戻る大統領専用機と軍の哨戒機のみとなりました。
この指示の効果は、10年後の今となって一層評価
されています。
(この大きな決断をできる政治家が、現時点日本には
 いないことは、悲しいですが、確信できます。)

さらに、後日運輸長官としての評価を高めたできごとが
ありました。
テロ後のアメリカは、かなり右傾し、特に、アラブ系の人
びとに対して、かなり、差別が激化していました。
その中で、空港で、搭乗前検査時、アラブ系の人びとに
対する手荷物検査は、厳しすぎたのです。
明らかな「人種差別」とした、運輸長官の権限内、その
アラブ系の人びとの検査を改善しました。
彼にとって、テロの予防以上に、人種差別の防止は
重要だったのです。
彼自身の戦時の日系人収容所体験が、この決断の
根底にあるとされています。
(実は、下院議員時代、当時のレーガン大統領に働き
 かけて、日系人収容所について、謝罪を引き出したのも
ミネタ議員の功績であるとされています。

この、勇気と決断を、今の日本の政治家に求めるのは、
無理な話なのでしょうか?

日記一覧へ戻る

【PR】  ゲストハウスコザ  Jアカデミー  Cendrillon’s Soup  整体とリラクゼーションのお店 てぃーら  コインランドリー 洗濯工房リウム 毛野店