こたに医院 | 日記 | 1971年。

「なんだか、しんどい」「少し、休みたい」そんなときの「街の保健室」です。

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こたに医院 の日記

1971年。

2011.09.23


1971年って、どんな年だったでしょう?
前の年、1970年は「1970年のこんにちは」
って「お客さまは、神様」の三波春夫さんが
歌ってた「万博の年」やったし「二十世紀少年」
でも、取り上げられていました。

じゃあ、1971年は?
米国のニクソン大統領が、ドルの金兌換制度
を廃止、それまで、ドル貨幣を銀行に持って
行けば、金と交換してくれていた制度がなくなり
ました。
いわゆる「ニクソン・ショック」です。
そして、日本の円も、1ドル=360円の固定相場
制を止め、今の変動相場制に以降したのも、1971
年です。
ジョン・レノンの「イマジン」、加藤和彦や北山修の
「あの素晴らしい恋をもう一度」に、欧陽菲菲の「雨
の御堂筋」とか、気に入ってました。
40年前ですもんね。

その1971年に、マクドナルドのハンバーガーの1号
店が、銀座の三越の隣に、開店したんだそうです。
そのお店には、行ったことがなかったのですが、初めて
国内でマクドナルドを食べたのが、たぶん、その翌年
くらい、新宿の歌舞伎町のお店だったと思います。
高校中退で、ジャズドラマーになりたくて、東京をうろ
ついていた、当時の自分にとっては、それなりに高級
品だったの覚えています。
なんとなく、おしゃれというか、アメリカの匂いもして。
その6年後、1977年、初めて、アメリカに行って、初めて、
マクドナルドに行ったときのことも、覚えています。
確か、シカゴのダウンタウンのマクドナルド。
一番、安い、ただのハンバーガーを注文しただけなのに、
「レタスは、どうする?」とか「ピクルスは?」「マスタードは?」
とか、質問攻めになって、日本だと、何も言わないで、出て
来るのに、好みを聞かれても、そんなのないと言うか分から
ないから「as you like. あなたの好きにして」とか、ごまか
そうとしても「I can't make it. そんなの、でけへん」とか
言われて、そしたら「レタス、いっぱい」「ピクルス、いっぱい」
「マスタードもケチャップもいっぱい」って、答えたら、そりゃあ
あふれるくらいのハンバーガーが出て来て、結果、大満足
だったんですが、値段の割りに。
けれど、未だに、日本のマクドナルドで、ピクルスやレタスの
量を聞かれたことないし、マクドナルドって、言っても別物?
その後、パリのシャンゼリゼ通りにマクドナルドを見つけて
長蛇の列に、驚いたり。
そんなマクドナルド体験も、もう、40年なんですね。

1971年。
それから、40年。
ドライブスルーで、普通に、ハンバーガーを買ったり。
すっかり、米国風が当たり前になっている自分に、やっぱり、
あきれています。
慣れって、怖いもんですね。


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