こたに医院 | 日記 | 「ユニクロ」という会社。

「なんだか、しんどい」「少し、休みたい」そんなときの「街の保健室」です。

Top >  日記 > 「ユニクロ」という会社。

こたに医院 の日記

「ユニクロ」という会社。

2011.11.05


あれは、何年前だったでしょう?
それまで、登山用で、高価だったフリース
が、以前の10分の1くらいの価格で発売
されました。
元は、山口県の小さな洋品店から、始ま
った会社だと聞き、非常に、興味が湧き
ました。
当時は、一度、洗うと縮んでしまうとか、
「安かろう、悪かろう」の店だと言われて
ました。
でも、世の中のお母さんたちは、この軽くて
安いフリースを支持しました。
計2600万枚のフリースが売れたそうです。
「フリース旋風」と呼ばれて。
そうして、ユニクロは爆発的に発展しました。
海外にも、次々に、出店して。
当初は、人件費の安かった中国で、糸から
縫製まで、行っていた分、安価だったのが、
中国の経済発展とともに、早い切り替えで
他の途上国に移転し、価格の安さを維持
したり、経営は順調でした。

5、6年前のことですが、創業者の柳井さんは、
事業の発展のため、代表取締役社長から、
会長となりましたが、次の社長には、この
ユニクロの持つ特色や価値が理解できなか
ったようです。
すぐに、柳井さんが社長に復帰しました。

実は、その時点で人材の公募がありました。
トップの社長から店舗の店長まで、希望する
職種に、抱負やこれからのユニクロについて
小論文を書いて、応募するというものでした。
なんと、その公募に自分も小論文を送って
いるのです。
身の程知らずなもんで。

自分の小論文は、ユニクロの原点復帰を
目指そうというものでした。
ただ、元に戻るのではなく、ユニクロを支持
したのは、各家庭のお母さんたちであり、その
お母さんたちが、一番、考えている家族のため
の衣料を作ってほしいと考えるものでした。
当時、耐震基準の不正で、住宅の安全性が
問われていた時期でしたし、食品の安全性も
繰り返し、ニュースになっていたのです。
安心して住める家、安心して口にできる食品。
自分の主張について、単純に言えば、世界中
のお母さんが安心して、家族や子どもたちに
着させてあげられるような「国際標準服」の様な
衣料を作ろうというものでした。
当時、すでに展開していた海外店舗を活用すれば
可能だろうと考えたのです。
それは、デザイン性や色彩の点で、起こりがちな
「歩留まり」をなくそうと考えたからでもあります。
この「歩留まり」というのは、英語ではyield rate
と言い、生産過程では「原料・素材の投入量から、
期待される生産量と、実際に生産された生産量の
比率」を指し、販売や流通全般にも想定されるもの
です。
例えば、流通の場面で、売れ残りが多いのは「歩
留まり」が悪いとされ、結局、バーゲンなどで処分
して、企業には、マイナス要素となる訳です。
世界中の人たちが基本的に着る「標準服」があって
その上で個性的な服装は個々の人たちが発展させ
ていくのが、これからの服装のあり方だと思います。

当然ですが、アパレル業界で素人の自分の考えは
却下されました。
けれども、何となく、最近のユニクロって、デザイン性
の強い製品以外、結構「国際標準服 international
standard clothes」に近づいてきてるような気がして
るんですけど・・・。

日記一覧へ戻る

【PR】  但馬牛料理はまだ  持ち込みタイヤ交換 大阪 サイトテクノ  整体室あすなろ  【神戸店】パソコン修理はPCホスピタル  Ties florist ティーズフローリスト