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こたに医院 の日記

スー・チーさん、あなたの時代です。

2011.11.24


長い年月、軟禁状態が続き、政治活動の
自由を奪われていた、ミャンマー民主化
運動の指導者、アウン・サン・スー・チー
さんが、今回の国会議員の補欠選挙に
出馬する意向を表明されました。

長い、長い時間が経ちました。
「ビルマ建国の父」と呼ばれた、お父さん
のアウンサン将軍が、志なかばで、暗殺
され、15才で、インド大使の母親とともに
デリーで学び、さらに、ロンドン大学へ。
第2次大戦の敗戦前、ビルマ独立を国益
とした日本であったこともあり、1985年から
1年、京都大学東南アジア研究センターの
研究員として、来日、父アウンサン将軍の
歴史研究に従事しています。

1988年、病気の母の看病のため、ビルマに
帰国。
その年の、8月8日のゼネストデモを象徴とする
「8888民主化運動」の中心的な存在となります。
1962年の軍事クーデター後、軍の独裁が続いて
いましたが、戒厳令下、一時、民主化に向けた選挙
の直前、再び、軍部のクーデターが起こり、1989年
選挙運動にとりかかっていたスーチーさんは、軍に
より、幽閉されたのです。
この間、国外退去を条件に、釈放を持ちかけられ
ましたが、拒否。
その後、20年間、ミャンマー国民の非暴力民主化
運動の象徴として、すべての国民な敬われているの
です。
1990年に、実施された総選挙で、スーチーさんを
代表とする国民民主連盟は、彼女の幽閉軟禁の
まま、大勝しましたが、軍部は権力の委譲を拒否し
有名無実の選挙となりました。
そのことから、1991年には、ノーベル平和賞を受賞
しています。

1995年に、いったん、軟禁状態から、解放されました
が、その後も軍部による弾圧は強く、ミャンマーは軍の
独裁体制が続きました。
英国人の夫は、再三の入国を試みましたが、果たせず
1999年に、前立腺癌で亡くなった際も、スーチーさんは
再入国ができなくなる恐れがあったために、葬儀にも、
行けなかったのです。
その後、2000年、2003年と、繰り返し、自宅軟禁と
なり、2009年には、米国人男性が、スーチーさんの
自宅に侵入したことが、軟禁条件違反として、「国家
転覆」の罪をめぐって、裁判となった。
禁固3年の実刑判決は、国際的な抗議を前に執行猶予
と、1年半の減刑を得たが、結局、再び、自宅軟禁が
続いた。

そして、昨年2010年11月、ようやく軟禁解除となり解放。
来年2012年3月の議会補欠選挙に、国民民主連盟から、
立候補の予定なのです。
1988年の民主化運動から、24年。
長い、長い年月が流れました。

女性の年齢を言って失礼ですが、66才のスーチーさんが、
これから、ミャンマーの顔となり、国内政治は、もちろん、
国際舞台でも、活躍される日を、首長くして、お待ちして
います。
スーチーさん、これからは、あなたの時代です。

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