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こたに医院 の日記

日本海海戦。

2011.12.26


3年越しのテレビドラマ「坂の上の雲」
が、ようやく、完結しました。
原作は、司馬遼太郎の同名作品で、
伊予松山出身の正岡子規と明治の
陸海軍の基礎を築いた秋山兄弟の
物語です。

「司馬遷、遼(はる)か、及ばず」
中国の古典「史記」の作者と自らを
比較して、筆名として、歴史小説を
書き続けた司馬遼太郎の作品は
多く、漱石と同様、新聞小説として
発表されたため、読み進むのに、
記憶の補強や繰り返しが多く、その
ためもあって、たくさんの人が愛読
しています。
代表作の「竜馬が行く」や「功名が辻」
幕末や戦国時代を題材に採った作品
の中で、近世日本から、現代までも、
見通そうとした作品が、この「坂の上
の雲」です。

正岡子規は、俳句・短歌の中興の祖
とも言われていますが「写生」理論で
日本の韻文詩を改革しました。
自分の一番の気に入りは、肺結核・
脊椎カリエス(背骨に結核菌がついて
骨折・変形していく、激痛を伴う状態)
で、根岸の借家に寝付いたとき、妹が
藤の花を見に行って、帰りに藤の花房
をお土産にくれたときの歌。

かめにさす
藤の花房 短ければ
畳の上に届かざりけり

藤の花房の先端と畳の間の空間の
緊張感がたまらないのです。

さて、夭折する子規に対して、秋山兄弟
は、日露戦争の陸海軍で活躍します。
兄の好古(よしふる)は、長身でもあり、
フランスの騎馬学校にも留学して、日本
陸軍の騎馬隊の生みの親と呼ばれ、
当時、世界最強と言われていた、ロシア
のコザック騎馬隊と戦い、勝利します。

弟の真之は、海軍参謀となり、東郷平八郎
を総指揮官とする「連合艦隊」が、ロシア海軍
のバルチック艦隊(元来、バルト海に配置されて
いた、世界最強艦隊の一つとされていた)と
日本海での決戦で、作戦を起案、実行して勝利
しました。
伊予の水軍の末裔でもあり、かつて、水軍が
戦いの際に用いた戦術を参考にした「丁字戦術」
で、一方的に完勝しました。
もし、負けていたら、日本そのものが、帝政ロシアの
植民地化していまったかも知れない戦いでした。
「帝国の興亡、この一戦にあり」という戦いだったの
です。
真之の文章も有名で、バルチック艦隊との戦端を開く
際の電報文で「本日、天気晴朗なれども、浪高し」は
歴史上、重要です。

自分のうちは、祖父も海軍上がりで、早逝した父親も
「学徒出陣(戦時中、本来、兵役猶予されていた大学生
が、多く、軍の将校になって、戦争に行くこと)」は海軍の
飛行基地の鹿屋(かのや)でした。
そんなこともあって、他の家より、この「日本海海戦」は
身近でした。
ロシア海軍のロジェストウェンスキーや、陸軍のクロパト
キンなんかも、子どもの頃から、知っていた、変な子ども
でしたし。

ですから、この「坂の上の雲」、原作も一気に読みましたし
3年がかりのドラマ化も、喜んで見ていました。
根っから、古臭い人間で、すみません。
でも、司馬遼太郎がこの作品に込めた思い。
明治という時代、そして、その時代の若者たちの、あっけら
かんとした「明るさ」「生命力」
それが、たまらなく、大好きです。

例え、それが、日本の帝国主義の先鞭を担うものであって
も、それ以上に彼らの「明るさ」に、心惹かれます。

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